お母たまと私 -母と娘の脳卒中リハビリ日記 外伝-
2004年2月に脳卒中(脳出血) で倒れ右片麻痺になった母と私の七ヶ月間にわたる リハビリの記録と、それからの事。
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up
2010年 02月 23日 (火) 10:35 | 編集
とりあえず...
up
2009年 11月 11日 (水) 08:46 | 編集
とりあえず up!
とりあえず
2009年 08月 01日 (土) 22:50 | 編集
とりあえずアップしておきます。
なんだか消えちゃうみたいなので…
更新
2009年 04月 15日 (水) 21:05 | 編集
消されると困るので
あげておきます。

近いうちに
また変な日記でも・・・
権利って何さ!
2007年 05月 03日 (木) 22:52 | 編集
母の年の離れた姉は、関東に住んでいます。
私の伯母です。
伯父は10年ほど前に亡くなっているので、一人暮しです。

この伯母は、母が倒れて手術をするとなった時

「当日の朝に、母に手術の事を伝えるつもりだし
 色々と混乱するかも知れない。
 終わったらすぐに連絡するので
 悪いけれど、当日は病院に来るのは遠慮して欲しい」

私たち家族が、母の兄弟に伝えると

「この際言っておきたい事がある。
 私は、たった一人の妹が大変な手術をするという立場でココにいる。
 その私になんて事を言うんだ。
 私にはココ(病院)にいる権利がある。
 私にそんな事をいう権利は誰にも無い」

とナースステーションの前で、私に噛み付いた人です。
他の兄弟(私の伯父たち)は
父や私の意志を尊重してくれました。

なにがなんでも来る、と言い張るので
好きにさせておいたところ、手術当日
母の一時間半の手術中、個室の待合室で

「私の姑も同じ脳出血だった」
「もう痴呆も進んでいて、ムダかもしれないと言われたが
 思い切って手術をした」
「手術後、少しの間正気に戻った時期があった」
「それからすぐ亡くなったけど」

という、いったい何が言いたいのか
訳がわからない話を、父と私に始めました。

母の手術が心配で、いい加減テンパッていたのと
これ以上伯母の変な話を聞きたくないのとで
私は待合室を逃げ出しました。

手術後も、それほど大事な妹なら
さぞかし面倒をみてくれるのだろうと思いきや

「ココは周りにロクに御飯を食べる所も無いから、もう帰るわ」
「いつ来ても、○○ちゃん(私)や△△さん(父)がいるから
 つまらないわ」

不思議な事を言いたい放題でした。


母と伯母は、決して仲の良い姉妹ではありませんでした。

伯父が生きている時、自分が仕事をしている時
自分がこちらで楽しく生活している時は
妹の家になど行きませんでした。
自分が一人になって(子供はいません)
年を取って、相手にしてくれる人がいなくなってから

『自分の好きな時に』
せっせと、行き始めました。

そんな伯母が、母が倒れる前と変わらず
今でも私の実家に年に何度も遊びに行きます。
文字通り『遊びに』行くのです。

『体が不自由になった妹の手助けをしに』
行くのではないのです。
相変わらず『お客さま』としてなのです。

元々そういう人なので、仕方が無いと思っていました。
私が何を言ってもきっと

「私たち姉妹の間のこと」
「姉としての権利」

でしょうから。


でも

「伯母さんは やはり 
 自分のために来てるんだね
 伯母さんの言葉に泣いた私が
 弱いんです」

こんなメールが母から届いたから
ちょっと、居ても立ってもいられません。
聞いても母は教えてくれません。

「私はもう大丈夫です」

というメールが二日後にあったきりで。


さあ、どうしたもんかな…

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