お母たまと私 -母と娘の脳卒中リハビリ日記 外伝-
2004年2月に脳卒中(脳出血) で倒れ右片麻痺になった母と私の七ヶ月間にわたる リハビリの記録と、それからの事。
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飛んで来たのに
2006年 04月 26日 (水) 00:32 | 編集
母が倒れてから丸3ヶ月がたちました。
5月10日です。

毎日お昼ご飯の後、少ししてからSTリハビリが始まります。
この頃からカードに書いてある絵の名前を言うだけではなくて
スケッチブックに鉛筆で、自分の名前や家族の名前を書く練習をするようになりました。
スケッチブックは急性期の病院にいた頃から使っていたものでした。
急性期の病院では、最初の頃全く母の言葉が理解できず
なんとか意志の疎通を図ろうと、色鉛筆と一緒に病室に持ち込んだのでした。

STの先生が母の名前を聞きますが、母はもちろん答えられません。
苗字を言ってもらっても名前は出てきません。
「○○子さんっておっしゃるんですよ」
「あーそっか。私は○○子なのねー」
本当に自分の名前だと自覚しているのかは疑問でした。
続いて夫の名前子供たちの名前と続きますが、同じような反応です。
それでも先生に漢字を教えてもらい、その通りに左手で書きます。
母は家族分名前を書き終えて、感慨深そうに眺めていました。

”自分の名前を思い出せない”
”教えてもらってもピンと来ない”
という事がどういう事なのか、どういう気持ちなのか
私には見当もつきませんでした。
「誰かは分かっているんだけど、知ってるはずなんだけど
 名前は出てこないの」

「おつかれさま」
STリハビリが終わって、コンビニで毎朝私が買って来る”いちごオーレ”を
ベッドで背を起こしている母に、いつもの様にコップに入れて渡しました。
母は自分と家族の名前が書かれたスケッチブックをまだ眺めていました。
「今日はお母さんが倒れてからちょうど3ヶ月なんだよ。
 こんな事になるって分かっていたら
 3ヶ月前のあの日の前の晩に、飛行機で飛んで帰って来て
 ”明日は絶対出かけないで!”って言って
 お母さんが嫌がっても、怒っても絶対家から出さなかったのにな」

母は途端に顔をくしゃくしゃにして泣き出しました。
泣くだろうと言う事は分かっていました。
でも何故だか3ヶ月経ったこの日、これまで1週間目2週間目
1ヶ月目2ヶ月目にいつも考えずにはいられなかったことを
母にぶつけてしまいました。
これが多分、私が母を泣かせた最初だったと思います。


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Comment
この記事へのコメント
また泣いてしまいました・・。
結局、泣くな頑張れ!と言われても、勝手に涙は出てくるのだから・・仕方ないかな。

woolさんのお母様、本当に頑張ってきたんですね。woolさんも、お母さんのこと大好きなんですね。
もう・・痛いくらいです。心が。

私の母が泣くのは、もちろん悲しいから泣くのだけれど・・家族の事を考えると、いたたまれなくなって泣くんだと思います。
自分のことを心配して、母を見守る家族のことを・・それゆえ先のことを考えると。
「早く家に帰りたい」のは、自分のためではなくて、心配している家族を安心させたいというのが、母の本当の気持ちなんだと思います。

病気になってしまったことの後悔ではなく・・。

私も・・泣くのはそういう日。

だから、お母様も・・優しいwoolさんの言葉に悲しくて切なくて泣いてしまったのではないでしょうか・・。

愛する人が、自分を心配している・・それも尋常でないくらい心配してくれる。
時には嬉しいけれど、これほど辛いこともないかもしれません。

もし・・私が娘達にそういう思いをさせることになったら・・毎日毎日、自分のことより娘達が可哀相で泣くと思います。

でも、本当に本当に・・woolさんのお母様が元気になられて良かった!!
まだまだ不自由はあると思いますが、お家で笑ってるんでしょね。
woolさんも、本当に優しい方ですね。
いつも、いつも・・ありがとうございます。
また・・。

2006/ 04/ 26 (水) 14: 15: 09 | URL | 一人娘。 # -[ 編集 ]
私は一人娘さんとはちょっと違う受け止め方しちゃったんだけど・・
(違うからねっ!イジワルとかじゃないからねっ!)

woolさん、お母様に「ひどいこと」言っちゃったりしたのではないですかい?
もしそうだとしたら
私、かなりその時のwoolさんの気持ち、分かります。ってか私にも経験あります。
入院中ではなく、今ね(笑)おおあり。

あー、違ったら、私自分の悪事公表(笑)
2006/ 04/ 26 (水) 17: 06: 06 | URL | ゼリー # JalddpaA[ 編集 ]
>一人娘。さん
誰でも自分や家族が障害が残るような病気になったら、泣くと思います。
何ヶ月も何年も立ち直れなくても不思議ではないと私は思います。
少なくとも私はそうでした。
だから丸二年が経つまで書けなかったんだと思います。

丸一年がたった去年は「一年と一日前に戻れたらまだ間に合うんだ」と考えてしまっていました。
今年はそんな事を考えなかったのです。
ただ「あー二年前だったなー」と思っただけです。

時間が解決するとはそういう事なんだと思います。
気が付いたらよく眠れるようにになっていた。
気が付いたら泣かなくなっていた。
気が付いたら以前のように笑っていた。

母が立ち直ったのかどうかは私には分かりません。
でも少なくとも、良く笑うしよく眠れているようです。

一人娘。さんはまさに現在進行形なので、皆さんが自分のやった失敗や後悔をしなくていいように、色々参考になるお話をして下さるのでしょう。
後悔が無い人なんていないと思うので。
私と母のリハビリ生活なんて、もうとっくに終ってしまっている事なので、良くも悪くも変えようがないのです。事実をそのまま書くだけなのです。皆さんも今更意見してもしようが無いというかなんというか…

”優しい方”なんて言われたのはほとんど生まれて初めてかもしれません。ドキドキ。
ありがとうございますー。
2006/ 04/ 26 (水) 22: 12: 14 | URL | wool # -[ 編集 ]
>ゼリーさん
「ひどいこと」言ってますよー。
「~飛んで帰ったのに」も他の誰に言っても、母にだけは言ってはいけない言葉でした。

この先も「ひどいこと」いっぱい言いました、私は。
ゼリーさん、なんで分かったんですかー?
エスパー?以心伝心?

っていうか障害があっても無くても、誰かと一緒に暮らしていたら「ひどいこと」いっぱい言うと思うのです。私は特に。

ああーこれからは、私の悪事大公表ブログになりそうー!!
2006/ 04/ 26 (水) 22: 22: 02 | URL | wool # -[ 編集 ]
それはね・・・

私もママンにひどいこと、いっぱい言ってるからでーすi-234

結局ね
『お母さん』に『ママン』の愚痴を言っている気がする、私。
2006/ 04/ 26 (水) 23: 59: 45 | URL | ゼリー # JalddpaA[ 編集 ]
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