お母たまと私 -母と娘の脳卒中リハビリ日記 外伝-
2004年2月に脳卒中(脳出血) で倒れ右片麻痺になった母と私の七ヶ月間にわたる リハビリの記録と、それからの事。
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OTの先生
2006年 04月 02日 (日) 13:23 | 編集
OTのリハビリは、PTに較べると静かなものでした。
なにしろ母の右腕から下は、ピクリとも動かないので
ベッドで横になり全身を調整するだけだからです。
右手の訓練のようなものは何一つできません。

「体のどこが腕や指と繋がっている」
などOTの先生は、色々と説明しながらやってくれましたが
最初の頃は、いつ右手が動くようになるのか
私はそればかり気になっていました。

OTの先生は、父と私がこの病院を見学に来た時に対応してくれた人で
回復期リハビリ病棟のリハビリ責任者でした。
母の身体の機能のレベルを正確に把握していて
PTやSTの先生や婦長さんなどと連携をとって
「○○さんのトイレの介助はこのようにして下さい」
「これはできるだけ自分でやらせて下さい」
など要請してくれたようでした。

ある日PTのリハビリ中、母が頭がフラフラすると言って
リハビリが中止になった事がありました。
次の日も同じような状態だったので、他の先生や看護婦さんは
「風邪かしら」と熱を測ったりしたのですが
OTの先生はPTの先生からその話を聞き、すぐに担当医の所へ行き
母に眠剤が出されている事を聞いてきてくれました。
「○○さんが夜眠れないと言われたので、眠剤を出したようですが
 このように昼間にも影響が出るとリハビリができなくなります。
 眠剤は辞める方向で、夜眠れない原因を取り除きましょう」
父と私にそう言われました。

まだ頭もハッキリしない、言葉も不明瞭な母に根気よくインタビューして
「お隣のベッドのBさんが夜中も叫ぶので何度も目が覚める」
という事を聞き出してくれました。
私は母が夜眠れていないと言う事も、眠剤が出ていると言う事も知りませんでした。

OTの先生の提案で、母は一人部屋に移ることになりました。


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Comment
この記事へのコメント
このOTの先生のような方がいるといないでは大違いだったでしょうね。うちはPTの若い先生をはじめ若い方々の力が大きかったですね。このような病院では、同室の方との同居、相性も大変のようですね、特に女性は。
うちの妻も、隣のヒトが挨拶してもしゃべらない、しゃべれないからつまらない(失語症だってば)とか言われたり、夫である私が仕事帰りにスーツ姿で病室に行くからか、何度も会っているのに、女性の病室に知らない男の人が入ってきたとナースコールを押されたことも
ありました。
相手の方も認知症や脳の障害がお有りなので致し方ないことではありますが・・・入院者同士、その見舞家族なども何かと接し方が難しいところだな~と感じました。



2006/ 04/ 02 (日) 22: 22: 07 | URL | タケノコ # -[ 編集 ]
>タケノコさん
相部屋はホントに難しいですね。
うちの場合は、父自身が無神経なタイプなのです。
上記の時も病室に帰ってから、お隣にその叫ぶ患者さんがいて、御家族も来られているのに(カーテンがしてあってよく分からなかったとはいえ)
「ふん、隣のバアさんがうるさくて寝られなかったか」と平気で口に出すのです。
母は恥ずかしさでワンワン泣き出してしまいました。私も泣きたかったです。

こういう事は家族間の問題で、母の病気とは基本的には関係無いですね。なのでブログには書かないつもりにしています。でも家族が一人病気になると本当に大変で、それがきっかけで離婚になったり家族がバラバラになったりするという事が、身にしみてよく分かりました。
なので今現在、お義父さまと同居されているタケノコさんを心の底から尊敬してます。
2006/ 04/ 02 (日) 23: 22: 41 | URL | wool # -[ 編集 ]
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