お母たまと私 -母と娘の脳卒中リハビリ日記 外伝-
2004年2月に脳卒中(脳出血) で倒れ右片麻痺になった母と私の七ヶ月間にわたる リハビリの記録と、それからの事。
スポンサーサイト
--年 --月 --日 (--) --:-- | 編集
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
決めました
2006年 03月 24日 (金) 20:20 | 編集
結果的に父と私は、実家から近いA病院の回復期リハビリ病棟を
母の転院先として選びました。

特に”コレだ!”という決め手はありませんでした。
どちらの病院にも一長一短があり
“あちらのアレがこっちにあったら…”
“アレとコレが合体したらいいのに…”

離れた場所にある二つの病院を一日で回り、救急病院に帰る車の中で
県内に他にめぼしいリハビリテーション病院が無いなら
他県にも候補を広げようか、とまで考え始めていました。

すると父が運転席で言いました。
「○○子(母)は何でもくよくよ悪い方に考えて、すぐにペチャンコになる。
 あいつにあのリハ専(県内随一)は無理だ。やる気が無くなったら元も子もない」

確かに県内随一のリハ専門病院は、リハビリスタッフが少々スパルタ気味で
患者が必死でスタッフについていっている様に見えました。

「わしやお前のような性格なら、リハ専でバリバリやったほうがいいだろう。
 ナニクソーッと奮起するだろうからな」
「?」
「○○子(母)や○○男(弟)なら、A病院みたいな所でゆっくりやってもらわないと
 これから先、何ヶ月もリハビリを続けるのは難しいだろう」

父よ!!!
あなたと私が同じ性格???
意義ありっ!!!

意義を申し立てる前に、父の言った事を考えてみました。
私の性格はともかく、母の性格については確かにその通りです。
だからこそ、母が泣いて嫌がっても鬼コーチになると決めたのでした。
私は次のリハビリ病院でも、ずっと母についているつもりでした。
娘も鬼、リハビリスタッフも鬼では、母はリハビリをしなくなってしまうかもしれない。

一晩考えて、父に言いました。
「A病院でいいと思う。地域連携室に行ってお願いして来て」


↓ランキングに参加しています。

にほんブログ村 病気ブログへ
スポンサーサイト
Comment
この記事へのコメント
やはり近くの病院にしましたか。
リハのためには専門病院も望ましいのですが、遠くだと、家族も通いづらいというのもありますしね。
リハばかりの厳しい環境も、確かにいいのでしょうが、どこの病院も一長一短がありますよね。
うちの場合は、幸いにも、住まいと同市内であり、車でも15分くらいだったのでその点はだいぶ助かりました。おかげで毎日通うことができましたし。
2006/ 03/ 26 (日) 17: 56: 16 | URL | タケノコ # -[ 編集 ]
>タケノコさん
近くを選んで良かったと、後になって本当に思いました。じゃなかったら何ヶ月も毎日通えなかったと思います。

タケノコさんも毎日通われたのですか。お仕事をされながら大変でしたでしょう。
私は母に専念していましたが、途中からは週休一日にしてしまいました。
2006/ 03/ 26 (日) 19: 15: 04 | URL | wool # -[ 編集 ]
コメントを投稿する
URL :
comment :
password :
secret : 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック
copyright (C) お母たまと私 -母と娘の脳卒中リハビリ日記 外伝- all rights reserved.
designed by polepole...

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。