お母たまと私 -母と娘の脳卒中リハビリ日記 外伝-
2004年2月に脳卒中(脳出血) で倒れ右片麻痺になった母と私の七ヶ月間にわたる リハビリの記録と、それからの事。
スポンサーサイト
--年 --月 --日 (--) --:-- | 編集
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
軽いけど重い
2006年 03月 16日 (木) 14:21 | 編集
なんとか全介助ですが、車椅子に乗り移れるようになったので
個室にポータブルトイレがやってきました。
それとともに、分厚くて大きい赤ちゃんのようなオムツは卒業です。
薄めのはかせるタイプのオムツに変わりました。
寝巻きも浴衣タイプから普通のパジャマに。

私は朝食の前から夕食の後まで、毎日べったり母についていたので
母のトイレの世話は全部私の役目になりました。
オムツが濡れる度にナースステーションに行って
交換をお願いしなくてもよくなったのは気が楽でしたが
今度は肉体的に辛くなりました。

まず母はトイレの回数が多いです。
それにウンチの場合は、便秘気味なのかお腹に力が入らないのか
とりあえずトイレに座るのですが、出ないと言ってはベッドに戻ります。
でもまたすぐに
「出るかもしれない(という意味の宇宙語)」と言い出し
またポータブルトイレに座ります。

母は小柄で体重も45kgしかないのですが、乗り移れるとは言っても
ベッドに座った状態の母のパジャマのスボンのゴムを両手で握って
私が持ち上げるようなものでした。

あまりの重労働に、一度父にやらせてみました。
トイレを置く位置から、介助者の足の位置、母を持ち上げるタイミングまで
詳しくやってみせて教えたのですが、うまくきませんでした。
力があるので、どうしても力任せに母を引きずろうとしてしまうのです。

という事で、やっぱり一日十回以上のトイレへの乗り移りは
最後まで私の仕事でした。

ランキングに参加しています。
スポンサーサイト
Comment
この記事へのコメント
私も器用な方ではないのですが、見よう見まねと看護師や病院のヘルパーに聞いて教えてもらいました。やはり、ナースコール押しても(本人は全く押せなかった)なかなか来ないときはそばに居る人間がやるしかないですもんね。この際にとヘルパー2級も取ろうと思いましたが、仕事と看護だけで手一杯で、通信教育でも実習の時間は平日に何日もあり、ちょっとムリだったので取りはしませんでしたけど、一方で資格だけ取ってくれたものの、退院後はさっぱり手伝ってもくれない妻の身内・・・・
車いすで段差も超えられずに力任せに押してて、後ろでホントに資格取ったの?って笑ってました。力任せは負担もかかりますしね。こつを覚えたら、力は要らないですよとうちのヘルパーさん方。慣れもあるのでしょうかね。
2006/ 03/ 16 (木) 22: 48: 23 | URL | タケノコ # -[ 編集 ]
>タケノコさん
ああ~やっぱりコツはあるのですよね。
ホントに華奢な看護婦さんもいらっしゃいますものね。
この時期の数ヶ月で、前年痛めた両手首の腱鞘炎を悪化させてしまいました。
やっている当時は痛くなかったのです。コレも脳内麻薬でしょうか?
私は自分の体力の無さを省みず、根性だけで突っ走ってしまう傾向があります。
まず自分から、と無理をしない事が一番大事だと今でも言い聞かせています。
2006/ 03/ 17 (金) 00: 31: 00 | URL | wool # -[ 編集 ]
コメントを投稿する
URL :
comment :
password :
secret : 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック
copyright (C) お母たまと私 -母と娘の脳卒中リハビリ日記 外伝- all rights reserved.
designed by polepole...

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。