お母たまと私 -母と娘の脳卒中リハビリ日記 外伝-
2004年2月に脳卒中(脳出血) で倒れ右片麻痺になった母と私の七ヶ月間にわたる リハビリの記録と、それからの事。
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年越しのご挨拶…Let’s dry?
2006年 12月 29日 (金) 19:19 | 編集
実家に帰っています。
とっても気をつけていたのに
帰省直前にのど風邪をひいてしまい
実家でゲホゲホしています。
親不孝な娘です。

母はとっても元気で
毎日変な事を言って、私を笑わせてくれます。

昨夜は餅つき機で、お重ねを二個作りました。
終わった後、母は餅つき機の小さな羽みたいな部品を私に見せて

「…ねえ、一緒に…乾こうよ?」
「???(泣)」

小さな部品の内側にお餅が入り込んでいて、取れなくなっていたのを
水で濡らして取ろうとしたら
余計にネチャネチャして、ダメだったらしく

「お餅が乾いたころを見計らって、取ろうよ」

と言いたかったらしいです。

母と一緒に干からびるのはイヤですー。


昨日、こちらでも雪がチラホラ舞いました。

今日は、弟その二も帰ってくるので
ちょっと” お姉ちゃん ” もしなくてはいけません。
なかなか貴重な数日間です。


今年は初めての事がいっぱいありました。
ブログを始めたのも、その内の一つです。

この私がブログを初めて、まだ続けられているなんて
沢山の人に読んでもらって、交流しているなんて。

自分に対して、新しい発見がいっぱいありました。
とっても嬉しくて幸せな一年でした。
ありがとうございました。

来年、皆様にも私たち家族にも
もっともっと嬉しいことが沢山起こりますように。


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シアワセなシワス
2006年 12月 19日 (火) 23:31 | 編集
毎年この時期になると
さりげなくブルーになる私でした。
三年前までは。

父とは、帰った時とこちらに戻る時に挨拶をするだけ。
母とも別に仲が良いわけでもない。
そんな実家に帰るのが憂鬱でした。
たった一年に一回でも。

今の私は、以前の何倍も、両親とは良い関係を築けています。
私が病気をしたら、母は死ぬほど心配するだろうと思い
自分の健康管理もできる限りやっています。
母とのリハビリ生活を経験した事により
自分の望むライフスタイルも見つけました。

母の体が元に戻るなら…と思わない日はありません。
煩悩の塊の私は、一生その思いを手放す事はできないと思います。

でも私は、以前に比べると
いろんな事に”やる気マンマン”で
一言で言うと、幸せみたいなのです。

大変な思いをしてリハビリをし
現在も、不自由な生活を余儀なくされている母には
とても申し訳無いのですが
不甲斐無い娘に、母が身をもって道を示してくれたように思います。
とても不思議な感じです。


「お母たま、食べたいものを考えておいてね」
「みんなで焼肉食べに行こうか。焼肉デビュー!」
「いるものは無いの?着るものは?パンツは?」
「お土産は何がいいの?いつのもあられ?」

電話でメールでまくしたて
ここのところ、私は一人で盛り上がっています。

せめて、立てた計画の半分はこなせるように
今から風邪をひいてしまわないように
あと一週間、無事に過ごしたいと思います。

ノロにも気をつけなきゃですね。


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願うこと
2006年 12月 10日 (日) 20:34 | 編集
親族の中で脳血管障害で倒れたのは、母で二人目です。
一人目は、私とは血の繋がっていない伯父でした。

伯父は脳出血で即死でした。63歳でした。
いつも通り会社に行って、その日は会社の飲み会に行き
夜遅くにマンションまで帰ってきて
エレベーターの中で事切れました。

『俺は年寄りが大嫌いだ。絶対に年寄りにはなりたくない!』

伯父は常々、伯母や私にそう言っていました。

何故だか伯父は
定年退職して更に再就職先も定年になって
毎日図書館や喫茶店でのんびりしているお爺さんたちが
大嫌いだったのです。

若かった私からすると、そんな70歳くらいの男の人たちと伯父とは
同じようにしか見えなかったのですが
“ 隠居老人になりたくない ”
という事だったのでしょう。
生涯現役でいたかったのだと思います。

伯父のお年寄り嫌いは徹底したものがあり
亡くなる半年ほど前に、マンションを買い替えようと
伯母と二人で、あちこち見に行ったらしいのですが

『総合病院が割と近くにある。前の道を年寄りがいっぱい通るからイヤだ!』

と、マンションの中にも入らずに帰って来たこともあったそうです。
「大きな病院が近くにあって安心だ」
伯母はそう思っていたらしいので、とても残念がっていました。

何度も伯父の、徹底した“ お年寄り嫌いぶり ”を
見せつけられていた私は、伯父が死んだ時

『本当に本当に、お年寄りになりたくなかったんだ。
     このままじゃ、なっちゃってたもんね、伯父さん』

と、悲しみと同時に
ちょっと安堵もおぼえました。

伯父が亡くなってからもう随分経ちますが、私は伯父が
“ 心の奥底で望んでいたことを実現した ”
と思えて仕方がありませんでした。
そうに違いないと、今でも信じています。


母に関しては

『老後を娘と一緒に過ごすのもいいかな』

と思ってくれてたんじゃないかなと。
伯父と同じ脳出血でしたが
母は生き残ってくれたので。


母がいろんな事を
“ 嫌だ ”
“ なりたくない ”

ではなくて

“ こうなったらいいなー ”
“ あれが好き ”

と感じながら毎日を生きてくれるといいな、と
まだまだ遠く離れた娘は思うのです。


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フレーフレー
2006年 12月 07日 (木) 21:44 | 編集
残念な出来事があって
昨日、私はとても落ち込んでいました。
母にだらだらと愚痴メールを書きました。
愚痴ったってどうしようもないのに、遠く離れた母に。

母は私のこちらでの生活の事を
ほとんど何も知りません。
以前は、私たち母娘があまり親しくなかったせいで
倒れてからは、私が全く話をしていないからです。
何を話しても、母は心配するだろうと思って。

昨日は、少しだけ背景を説明し
何故私が残念に思っているのか、落ち込んでいるのか
気持ちを正直に書きました。
文字通り、泣きついたわけです。


“ 貴方はついています
  頑張ってね
  フレーフレー ○○子 “


萌えました。

フレーフレーなんて
言われたのは初めてです。


先月、ある人から
『お母さんは、あなたに色々な気づきを与えてくれる存在』
だと言われました。

そうなのかも知れない、と思います。

少し前には
『あなたはツイていた』
と、母に若い頃の事を言われて、ブチキレてしまい
母を大泣きさせてしまいましたが
『貴方はついています』
と言われて、この度はこんなに安心するなんて。

やっぱり私は、母が言うように
“ ついてる ”
のかも知れません。

トリ頭の私は
『全て私にいいように進んでいるんだわ。結果的に全てうまくいくんだわ』
と思えてきました。

感謝感謝です。


みなさまにも、感謝を込めて


“ 貴方はついています
  フレーフレー “


私からでは、萌えませんか?


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