お母たまと私 -母と娘の脳卒中リハビリ日記 外伝-
2004年2月に脳卒中(脳出血) で倒れ右片麻痺になった母と私の七ヶ月間にわたる リハビリの記録と、それからの事。
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凶器はポン酢
2006年 11月 30日 (木) 19:30 | 編集
子供の頃から父とは折り合いが悪かったのですが
家を離れてからは、一年に一度
年末年始に帰省するだけだったので
父ともそれなりに、波風立てずにやってこれました。
このまま父が死ぬまで、うまくやっていけると思っていました。

母が倒れ、否応もなく、父と一つ屋根の下に暮らすようになって一ヶ月。
母がリハビリ病院に転院したばかりの頃
私の最初の爆発が起きました。
危うく、前科一犯になるところでした。

悲しみと怒りでいっぱいになってしまい
翌日、私は母を車椅子に乗せて、人気の無いエリアに連れて行きました。

「もうお父さんとは一緒にいられない。やっぱりムリ」
「だから帰るね。ごめんね」

車椅子で、まだボーッとしている母の膝で
わんわん泣いてしまいました。
母の前で泣いたのは、生まれて初めてだったと思います。

私の言う事をちゃんと分かってくれているか
母が理解できているのかは微妙な時期でした。
でも言わずにはいられなかったし
もしも理解できないとしても、本当の気持ちを言わずに
適当に嘘をついて帰るわけにはいかなかったのです。

「わかったよ。もういいよ。帰りなさい」

当時は、まだまだ母は喋れなかったので
そういう意味の、私にだけ分かる宇宙語で言い
左手で、母は私の頭をなでてくれました。

母が私の頭をなでてくれたのも、私が物心ついてからは
初めてだったかも知れません。
二三日後には、母は個室に移る予定だったので
私は、母が個室に移ったら帰ろうと決めました。

翌日も朝から病室に行き、母に付き添いました。
夕食も歯磨きも終わり、さあ帰るぞ、また明日ね、という時。
ベッドに横になった母が、左手を伸ばしてきて
私の頭を胸に抱え込んで泣き出しました。

「イヤ~イヤ~!!!」

昨日は、立派に母の立場で私を慰めてくれたのに
今日はもう、子供のようになっていました。
忘れていたのかもしれないし
ガマンしていたのかもしれません。

その時、私が何を思って
それ以降も実家に留まることにしたのかは忘れてしまいましたが
リハビリ病棟の暗い片隅で
膝の上で泣いている私の頭をなでなでしてくれた
完璧な母が忘れられません。


それなのに…

「お父さんそっくり!」

母は今日も電話で私をイジメます。
父と私がどれくらい、どんなところがそっくりか
ツラツラと挙げてくれます。

どうして人って、いい事も悪い事も、なんでも忘れてしまうんでしょう !!!


あっ、私も思い出しました…
私の最初の爆発は、もっと早くて、二週間目くらいでした。
まだ母が救急病院にいる時でした。
だから、これは二度目ですね。
全部でいったい何回あったんだろう…?


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湯豆腐がどうした !!!
2006年 11月 17日 (金) 00:09 | 編集
ほぼ毎日、母と私はPCでメールのやりとりをしています。
今日あった事、嬉しかった事、食事の内容など
なんてことないメールです。

母は一年前から、通所リハビリで月に二回
俳句のお稽古をしています。
一緒にお稽古している皆さんは
五年から十年くらい、やってらっしゃる方ばかりで
母は飛び抜けてヘタなんだそうです。

夏前くらいから、母はメールに
季語を書いてくるようになりました。

”今度のお題(季語)はこれこれだから、よろしく頼むわ”

という事なのです。

最初の頃は、物珍しさもあり
私も無い頭をしぼり、俳句をひねり出していたのですが
九月の季語の時、母はお稽古に
私が作った俳句を、代名詞だけ替えて提出しました。
そして○をもらったそうでした。
(その上に◎があります)

「だって全く浮かばなかったんだもの…」
と、こういう時だけ、ちょっと可愛く謝りました。

ちゃんと勉強するから季語辞典が欲しい
と言うので、読みやすい大字の季語辞典も送りました。

それなのに…

『今度のお題は小春、山茶花、千鳥、時雨 よろしく』

「………」
今日、いつもの時間に返事を出さずに
私は外出しました。
すると

『もう一つ季語が有ったのだよ
 それは湯豆腐です』

敵は、携帯メールを送って来やがりました。

『有ったのだよ』
じゃないから!!!
ダメだから!!!


追記
今月15日で、母が退院して家に帰ってから丸二年がたちました。
上記のメールには
『二人で、カキの水炊きと日本酒で乾杯しました』
という一文もありました。
無事に二年を過ごす事ができて
それをここで、皆さんに御報告できることを
とてもありがたいと思っています。

でも、盗作はダメですよね。


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誘致 !?
2006年 11月 13日 (月) 13:01 | 編集
私の実家から歩いて20分くらいの所に
国立大学医学部の付属病院があります。
母が遠くの出先で倒れたのでなければ
100%運び込まれた病院です。

母が転院した病院のリハビリ病棟の患者さんも
99%がこの医大病院から転院してきていました。

この医大病院は、街中にあり
医学部と同じ敷地内にあるので、若い人も大勢います。
なのに、周囲にカフェの一軒も無いのです。

母の病院に電車で通い始めてから
私は実家の最寄駅から、ちょっと遠回りをして
よくこの医大の側の「ほっかほっか亭」で
夕飯を買って帰りました。

”お弁当屋さんや居酒屋や回転寿司やケーキ屋さんはあるのに
 どーして喫茶店の一つも無いんだろう?”

母が入院していた救急病院も、比較的街中にありました。
でも喫茶店どころか
まともに食事ができる場所もありませんでした。
いつもお昼はコンビニで買ってきて、母の病室で食べるか
まさに病院の見舞い客相手にだけやっている
暗ーい、ひなびた小さな定食屋で
もそもそとカレーを食べるくらいしかありませんでした。

一日に一回くらいは
病院じゃない所で、普通に明るい所で
他の人たちにまじって
私は普通に休憩したかったのです。

今でも医大の側を通る度に
”ここに明るいカフェが一軒あればなー。
 ドトールでいいのになー”
と思います。

急性期の病院には、長い時間そこで過ごす家族や
お見舞い客が、毎日沢山います。
医学部の学生もいます。
絶対あると嬉しいと思うのですが…

”こうなったら、地元に戻ったあかつきには
 カフェ中毒の私が、ドトールを誘致でもするかな?
 ついでに大戸屋も !!!”

 (大戸屋は安くて割と美味しい、チェーンの定食屋です)


こんな夢を描いてる、平和な今日この頃です…


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あなたの1番好きな・・・バトン
2006年 11月 06日 (月) 14:06 | 編集
カズPさん、ゼリーさんとこからもらってきました
『あなたの1番好きな・・・バトン』です

:・°★:*:・°複数回答不可:・°★:*:・°

(1)動物は?
   ネコたん。
   想像するだけで、ハァハァしてしまいます。

(2)お菓子は?
   柿の種わさび味。

(3)料理は?
   水餃子。水餃子。水餃子。

(4)缶ジュースは?
   これからの季節はホットココア。

(5)インスタント食品は?
   冷凍ちゃんぽんが割と好き。

(6)寿司ネタは?
   赤貝星人。

(7)パンは?
   あまり食べないけど
   チョココロネかな?

(8)ドンブリは?
   温玉マグロ丼
   マグロとトロロと温泉玉子の丼♪

(9)お酒は?
   梅酒のお湯割り。

(10)TV番組は?
    TV無いので、見ないのですが
    実家で見た「オーラの泉」は面白かったです。 

(11)お花は?
    お花?どうしよう…
    えーっと彼岸花??? 

(12)洋楽は?
    やっぱり、Stevie‐Wonderさま。

(13)芸能人は?
    井上陽水と結婚したいと思っていました。
    子供の頃。
    
(14)歴史上の人物は?
    厩戸王子。 

(15)作家は?
    一人?
    うーん…じゃあ、横山秀夫。
    少し前に読んだ「第三の時効」が面白かった。

(16)言葉は?
   「やってやれないことはない
    やらずにできるわけがない」 (by斉藤一人)

(17)雑誌は?
    チルチン人

(18)マンガは?
    今なら「おおきく振りかぶって」
    単行本が出ないよー!!!

(19)映画は?
   「DIVA (ディーバ)」 ジャン=ジャック・ベネックス
   
(20)お店は?
    MARUZENステーショナリー

(21)洋服は?
    とりあえずスカートは履かないです。

(22)靴は?
    スニーカーなら、adidasのカントリー。

(23)香水は?
    つけないけど
    防虫剤代わりに、ラベンダーの香油を
    ハンカチにしみ込ませて使っています。

(24)アウトドアスポーツは?
    スポーツ嫌いなので…
    でも一応スキーはやりました。昔、人並みに。

(25)インドアスポーツは?
    小学校6年間スイミングスクールに…

(26)装飾品・貴金属品は?
    ピアス、時計。

(27)季節は?
    暑くも無く寒くも無ければいつでも…

(28)落ち着く場所は?
    駅前のカフェ。
    読書だけじゃなく、なんでもやります。
    ダイレクトメールの整理とか
    年賀状の宛名書きとか。

(29)旅行先は?
    まだ行ったことないけど、伊勢神宮にぜひ行きたい!

(30)インターネットサイトは?
    ←ブックマーク

(31)必ず名指しで6人に回してください!!
    複数解答不可って難しいけど
    なかなか面白いです。
    みなさんもどうぞー。


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最高機密
2006年 11月 03日 (金) 11:02 | 編集
倒れて半年近く経つまで
母は、自分の年齢も家族の年齢も言えませんでした。
年齢という概念を忘れているというか、見当もつかないというか
人に聞かれても答えられませんでした。

STの時間に、先生に生年月日を書くように言われても
“ 昭和35年~ ” などと書いて
「若っ !!!」
と、私につっこまれたりしていました。

ある日のSTの時間。
その日は、モノや動物の絵が描いてあるカードを使いました。
母はモノの名前を言ったり、字を書いたりします。

ある動物のカードを見せられた時
母はその動物の名前がなかなか答えられず
先生に教えてもらいました。
そして先生が
「これは△△です。
  私の干支はこの△△なんですよ」
と言った瞬間

「○%?▲$+★~!?~??」
言葉にならない声を発して
病室の少し離れた所で、雑誌を読んでいた私を指差しました。

「あら、娘さんも△△なんですかー?」
先生の言葉に、母はブンブン頷きます。
娘の干支を覚えていたことが嬉しくて仕方が無い
と言った顔で、目がキラキラしていました。
私の苦笑いには全く気付かない様子で…

それまで何ヶ月間も、私の年齢はトップシークレットでした。
“ 隠し通そう!”
と決めていたわけでは無かったのですが
病院の誰からも、直接聞かれることは無かったし
誰かが母に聞いても、母は答えられなかったし。
“ ここでは誰も私の年齢を知らないんだわ ”
と気づいた瞬間から、最高機密になったのです。
(母にも、もし分かるようになっても言わないように厳命しました)

STの時間が終わるとおやつの時間です。
病室にある机の前に、車椅子でまだ座ったままの母に
毎日、いちごミルクをコップに入れて渡していました。
でもその日は、コップを母には渡さず自分で持ったまま
私は車椅子の側に立って、母にスゴみました。

「お母たま、よくも私の年をバラしてくれたわね。
  トップシークレットだったのに !!!」

「え~っえ~っ !???
  だって…わかったんだもん~…」

ちょうだい、ちょうだい
と、全く悪びれずに母はコップに手を伸ばします。

「お母たま、私はとても怒っています
  こんな時、なんて言うんですか?」

「………ごめんなさい…」

母は私の干支を思い出したからといって
私の年齢を言えるようにはならなかったし
“ 先生の年+12歳 ”なんて事を思いつきもしなかったし
別にいい事は無かったのです。
母とSTの先生が喜んだだけで。

aminalと母に、してやられました…


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